小平浪平(以下浪平と呼ぶ)は 栃木市都賀町合戦場に生まれ、(株)日立製作所の創業社長である。  浪平は高等小学校の高学年から昭和26年10月に77歳で亡くなるまで日記を綴っていた。生涯の日記の冊数は総数70数冊にも及ぶ。  ところが昭和20年3月10日のB29による「東京大空襲」で三組町の自宅が全焼。その落胆振りは「身辺雑記」の「戦災」欄に...
    写真は事業の恩師久原房之助の筆(御年92歳)による浪平生家入口右側にある「生誕地碑」である。  小平家の次男として生まれ、東京に遊学するまで住み、昭和26年10月に文京区で亡くなる。  この碑文には 高尾直三郎(元副社長)の撰文により **************  ...
 この「晃南日記」は、高等中学から大学にかけて、翁が20才の1月から26才の5月まで、約6年半に亘る青春の記録とも言うべきものであるが、時代も明治27、28年の日清の役を間にして、所謂日本の近代資本主義への黎明期であり、勃興せんとする時代の力は、必然にこの多感な一青年に多くの影響を与えずにはおかなかった。...
高尾さんは熱心な浄土真宗の信者である。どんな観点から、そのような想いを抱くに至ったのでしょうか。おそらく明治維新の志士たちに強い影響を及ぼした佐久間象山や吉田松陰にも似た、ある種の「志の高さ」を感得するところがあったのではないか?
 この日記を綴るに当たって左記の通り「はしがき」を書いている。 **************************...
 目次は下記の通りであるが 本文には各巻毎に表題と期日が書いてある。  **************************   ・新緑の巻      自 明治廿六年一月一日      至 明治廿七年三月卅一日   ・旅寝の巻      自 明治廿七年四月一日      至 明治廿八年三月卅一日   ・運動の巻...
 「晃南日記」は 勿論 日記であるので6年半を日付順に書いてある。 「新編 晃南日記」は 本文の日付順ではなく、下記の四つのカテゴリー(編)に再編し解説も加え、更に理解を深める為に関連する資料・写真を追加してある。。         ***************             その1、「親族関係と立志」編      ...
 明治24年に民法典の編纂問題が起きます。中でも家族法は社会の構成に関わるので、大きな議論を呼んだようです。 ボワソナードによるフランス流の原案に対して穂積八束は「民法出でて忠孝亡ぶ」と批判しました。  家族を支配する戸主(家長)権、家督という観念、隠居・養子制度など日本の伝統的家族制度のあり方が問われました。...
 浪平は、身元保証人(注;間中義兄)など 東京在住の親戚の所へ、実に頻繁に顔を出し、ご機嫌を伺い、諸々の手伝いに精を出します。日記の記述を見ると、それが気質に合っていたというよりは、強い義務感から実行していたように見える。...

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