14,2050年から見た日立

2050年から見た日立

 20年前の2030年に(株)日立製作所と言う社名は消えた。

 

<経緯>

 優良上場関連会社日立建機・日立金属は2022年全て売却完了。2022年、2023年と業績は利益率=12%と最益に達し DX転換の企業として経済界の賞賛を得た。

 

 しかしながら国内ライフ(白物家電)事業は国内販売戦略の失敗で、更なる価格競争に巻き込まれ赤字転落、2024年トルコの会社に売却。

 ホンダとの合弁の(株)日立アステモも予想以上の電気自動車の普及、自動車本体売価ダウンと消費者の自動車利用形態の変化等により2025年に赤字転落、将来とも高収益が見込めないため中国の会社に2026年売却。

 

 2020年に1兆円強で米国ソフト会社を買収したが、Lumadaとの相乗効果が出ずミスマッチ、DX事業の2026年度の業績は株主と約束した二桁利益が守れず、社長は欧州出身の社長に取って代わった。それでも利益回復せず、2030年になって中国の大手ソフト会社が(株)日立製作所を買い取った。

 

 最大の原因は創業の精神の一つである開拓者精神の喪失。つまり10年・20年先の研究開発を怠ったツケが露呈したことにある。基幹ハード技術の裏付けの無いソフト会社はパートナーと協創が出来なくなった。

 

 日立は昭和45年に駒井社長時代に創業60周年を迎える。この前後に のち5代目社長になったあのIBM事件で名を馳せた三田が(お)から大型汎用コンピュータの事業所(神)に栄転している。彼は昭和24年6月入社。何故2ヶ月遅れの入社になったかと言うと第一志望の通産省に入れず技官の道を閉ざされてしまった。既に日立の採用試験は終わっていたため やむを得ず 一旦 日製産業に入社し、のちに日立(多)に配属され配電盤の設計。

 

 当時もコンピューター技術はIBMの独走。IBMの互換機さえ作れれば利益率は二桁は固い。そこで思いついたのがIBM技術の盗み取り。三田が社長時 優秀な部下を米国に送り込みスパイさせたが、事件が発覚すると部下をトカゲの尻尾切りして、米国と国交の無い台湾に自分はさっさと逃亡。如何にも官僚主義願望体質・上級国民の持ち主。

 

 事件は多額の賠償金を支払って和解したが、それからが 三田は日立経営の御法度である公私混同、忖度経営、民僚経営(善悪より損得優先経営)を蔓延、三田はの独壇場、絶対王者として君臨。この新自由主義経営が社内のマフィア軍団(お友達)を形成し、のち経団連会長になた安倍の提灯もち田舎政商と揶揄された中西が完成させた。

 

 三田が(神)の工場長になった1970年(昭和45年)から2030年(令和12年)で丁度60年。マフィア軍団の金で経営を買った日立は 金で中国投資家に喰われてしまった。

 

 (株)日立製作所は120年の社歴で終了。それでも日立と言う名の付く会社は無くなったけれど 「HITACHI」と言うブランドは20年後の2050年の今でも散見される。

                                  以上