昭和5年と言えば 昭和初期の不況から日本経済は未だ脱出出来ず 失業者が溢れていた時代。しかしながら 浪平は 将来の電気機械産業発展を見据えて大型投資構想を描き、その実現に動き出した時期。
この年 兄儀平は満60歳を迎え、父惣八の急死により一高退学して、最下級事務員として40年間勤め上げた第一銀行栃木支店長を最後に定年退職。
天長節の日付で兄儀平へ礼状を書いている。和紙に長さ2m、勿論毛筆。その要旨は
**************************
「(前文略)人生の最盛期を然も四十年ご奮闘され、定めし感慨無量のこととお察し申しあげると共に、このことは徳望と智力と体力との絶妙を以て始めて成就したる事と存じ洵に羨望の次第。四十年の間終始一貫一事業に専念円満引退遊ばされ一事を以てしても 吾等一族の名誉として誇りうるのみならず 私共も是非之れを学びたい。一高を退学して以来、吾ら弟妹その授かった恩義を回想しております(後略)。 昭和五年 天長節 浪平
**************************
尚 本手紙は母校の合戦場小学校に原文保存