その4「紀行」編

古河より合戦場まで徒歩帰省

 既に東北線は開通(注;明治18年)しているのに浪平はわざわざ古河停車場で下車。南に富士山遠望し、東には筑波山、北には男体山を眺望しながら 左側の現在の渡良瀬遊水池を渡り、蛭沼、西野田、川連を北上し合戦場に帰省。(写真は渡良瀬遊水池の葦焼き2014年3月写)

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三月三十一日 金曜日 好天

<古河経由帰省>(前段の文章略)

 朝まだきより起き出でて、五時半の鐘声を合図に独り勇みて寮を出で、間中伯母上を訪ひて 上野の停車場に至りし時は六時二十分頃にて、汽車も早や発車のまじかなり。いそぎて乗り込めば、汽笛一声無量の快味を載せて花まだ咲かぬ都を立ち出でたり。

 

 古河の停車場立ち出でて野渡となん謂へる所に至りて渡しをわたりてながむれば、清き流れの思川、底に写りしかげ明にして得も謂ひ尽きせぬ景色なれば、彼れ是れ筆を走らせて写影(注;スケッチ)す。高き堤に登りて恵下野村に至る。男の童の遊べるを雇ひて船渡りして河のあなたに至る。至れば広き草原を独り行く。

 

 野らなる農夫に道を問ひ 蛭沼に向ふ。高き堤の景色いと面白し。富士の峯より太平洋を眺むる如き弘大の眺めなきも、潤々として春風と共に岸に寄せ来る赤間沼の微漣は、水に写れる晃山の影を砕き、遠近の岸辺の漁村は緑いろ濃き松の木の間に見るところ、かすかに霞にまがうは漁夫が終日の疲労を慰め、独酌の友となる梅の花とぞ知られける。

 

 太平山の春霞琴平山を立ち込めて、かすかに見せる二荒や、筑波の山は後より道ゆく人を送るなり。

 

 我らに人の特性として天下比なき風雅の心は、かかる片田舎まで家のまはりに梅を数々植ゑて、家々皆競ひて数多きを皆ほこるに似たり。げに美しき人の心なり。梅のかほりと共ににほふなる可し。

 

 地図をたよりておぼつかなく道をたどり行く。道すがら憩ふ所もがなと思ひしも去る所なくてはてぬ。西野田となん呼べる所に来りて掛茶屋あり、立ち寄りて憩ふ。芋ぐしと呼べる里芋をくしに貫き味噌をつけて焼きたるを売る。之を味ふに甘し。

 

 此処立ち出でて二時頃川連に至り、栃木も何時か過ぎて三時半頃家に入る。