工科大学1年
大学に進学して勇んで登校したものの、学校の雰囲気は気概に富むものではなかった。工科大学学長の演説は、工学者が社会に出る為の心構えを説くのみであることに不満で、此の時期の浪平の関心は むしろ工学の学問を究めることにあった。
また、一学期の試験の成績について、助教授から注意を受けますが、その助教授が学生の答案に個別にヒントを与え手助けしていたことを指摘して、自分はそれを敢えて受けなかったのだとして、要領よく立ち廻ることを非難している様子も微笑ましいものです。
明治二十九
九月六日
朝七時に出発して村井弦斎氏を麻布に訪ふ。氏在宅して迎ふ。旅行談と電気談とに時を移し、焼牛、刺身、吸物などにて昼食を饗せられ、二時頃に別を告げて帰る。
九月十一日
朝八時より登校す。工科大学に足を入れし第一なりとす。別に何事も無く掲示一つなし。只だ製図器械など借りてかえる。昨日まで一中の遺児として破帽弊衣の書生、今日は大学々生として晴衣の花々しさ、偖ても急に変るものなり。
九月十四日
午前八時より登学せしも授業は無くして時間割のみ掲示せられぬ。次の如し。
Hours of Attendance
Subject Mon. Tues. Wed. Thurs. Fri. Satur. Teacher
Mathematics 1-2.5 1-2.5 Miwa
St.of Mat.Struct 9-10 9-10 9-10
Steam 9-10 Waste
Kinetics
Engine 11-12 真野
Mechanics 8-9 斯波
Elec.& Mag. 8-9 8-9 渡辺
Telegraphy 10-11 浅野
E.&M.measure 10-11 中野
Mach.Draw. 8-12 真野、斯波
Chemi.Labo. 1-4
E.&M.Labo 10-12 11-12 10-4 8-12 渡辺
合計三十二時間なり。多田と新築の化学教室を見物す。十時頃帰宿す。
九月十五日
午前出校せしに今日も授業なくして空しく帰る。
九月十六日
今日始めて講義あり。斯波助教授の機械学、渡辺助教授の電磁気実験の注意なり。二氏共に昨年の卒業生なれば講義も今日が始めてなり。下手なり。何となく信用出来ざる点多し。秩序なし。
九月十七日
電磁学、電磁測定、数学を今日より開講す。中野教授の測定注意は老練にして面白く、三輪教授の数学は又一種の面白味あり。第一に注意して曰く、吾人は工学家となるの人なり。数学者となるに非ず。依て大体を遣る筈なり。若し諸君が社会に出でて数学の難問を解せざることを得ざる場合に会せば、此の三輪は一便方を諸君に教ゆべし。他に非ず、数学者に解答を乞ふべしと。諸学生大笑す。
二ケ月以来学事を放捨したるものから、筆記が遅くて講義に続くを得ず。一時間は長くして一日の感あり。当分の内とは謂ひながら仲々苦し。
九月十八日
電気実験は絶縁抵抗の測定なり。余等と共に実験を為すべきは近藤茂、小倉公平、林某の諸氏なり。四時頃に至りて終らず。
九月十九日
今日電気実験なりしも面白き結果を得ず。矢張り前日の問題と同じきものなり。十一時に帰る。
九月二十八日
化学の実験は本日より開始。
十月十三日
電気実験す。電気等熱量の測定なり。六七人にて工場に至りてダイナモを廻転せしめて遣りしも旨く行かず。
十月二十日
宣 誓 式
午後一時半より図書館にて宣誓式を挙行す。昔は神聖なる式なりきと聞きしが、今は入学々生の多き為め混雑のみして少しも神聖ならず。
十月二十四日
電気実験は電気の磁力発動力の実験なり。
十月二十六日
製図の第一枚就る。
十一月七日
実験は電動力と電燈光力との関係なり。好結果を得たり。
十一月九日
今日製図は第二枚「安全弁」を始む。化学の実験は金属の性質に入る。
十一月三十日
夜興津を訪ふて共に電気を研究す。今日より化学の実験は分析(定性)を始む。
十二月一日
今日は電気の小試験なれども、過日より風邪なりしと頭痛とにて上出来に行かざりしは残念なりき。
十二月五日
今日は近藤も小倉も休むとの事なれば余も休校す。午前は蟄居して勉強す。
十二月十一日
試 験
今日は機械学の試験なり。九時より十二時までにて完全ならざるも出来たり。
十二月十二日
物質強弱及組織論の試験あり。問題は四問にして其内一題は出来ずして、一題は運算を誤りたり。
十二月十五日
数学の試験は不出来なりしは残念なり。勉強不足の結果なり。高等学校に高野を訪ひマグレゴーの力学を借り、ローンテニスを遊びて帰る。
十二月十六日
力学の試業も固より充分ならず。問題六ケ敷に非ず、只だ余り落ち着きて時間の不足を生じたるのみ。
十二月十七日
蒸気機関の試業も思はしからず。満点を取らむとせしに。
十二月十八日
蒸気の試験あり。可なりの出来なり。
十二月十九日
電気の試験あり上出来なり。
十二月二十一日
電気測定の試験あり。上出来なり。
十二月二十三日
化学実験の試験あり。問題は二ツにて一ツはレッド・ナイトライトを得たり。之は出来たれども他の一つは水銀と云ふことの外知らず。後に聴けばマーキラウス・クロライドなりと。夜高野来りて十時半頃まで談話して帰る。夫れより明日の電信を調ぶ。
十二月二十四日
電信は三問にて上出来なり。これにて試験は終りぬ。
明治三十年
一月八日
午前は登学せしに未だ課業に就く有様なく、学生も多く来らざれば帰り来る。
一月十八日
今日より課業は始まりたり。又今日製図の第二枚目を終る。
二月十三日
逓 信 省
午後は逓信省に行く筈なれば実験を十一時に終る。十二時頃多田と共に鉄道馬車にて逓信省に至りしに、同級生等多く早や在りて種々説明を聴き得たり。電信の標本を種々見物して工場を一覧し、今度は浅野先生と共に江戸橋郵便電信本局に至りて電信の活動を見物す。単信器あり、二重器、四重器あり、サウンダーあり、自動発信器あり、百余名の技手は頻繁として通信受信す。実に驚く可きものあり。電池室には五六千個の電池ありたり。四時頃に帰る。途に古山に会し、共に丸山館に来りて雑談す。大にインヂケーターを論ず。
二月二十二日
午前少しく製図せしに古山来りて乙部の自転車を修繕せむと謂ふ。依て工場に至りてダライバンにてネヂを切り正午頃出来る。
午後は化学の実験を為したるも出来ず。此の分析は今日にて三日間を費せしも未だ出来ざるなり。大に苦しみてヤケとなる。三時に止めて自転車に乗る。
二月二十六日
二三週間前よりの分析は今日漸く出来たり。出来て見れば何でもなし。(硫酸鉛)
三月十五日
学 期 試 業
電気の試験あり、不出来なり。残念なり。勉強不足の結果ならめ。夜不忍を散歩す。
三月十六日
メカニズムの試業あり、通常の出来なり。
午後は明日のストレングスの下調べにて多忙謂はむ方なし。暮方までに一通り読みたるも何も頭に残らず。
三月十七日
ストレングスの試験もメチャメチャに遣り損じたり。六十点も覚束なし。
夜古山を訪ひしに留守なり。帰りて又八時半頃多田を訪ふて共に機関を研究し、十一時頃に帰る。
三月十八日
夜古山を訪ふて蒸気を研究す。
今日の試業は機関なり、可なりの出来。
大学本部に至りて電話を借りて小室氏の病気を見舞はむとせしが、下手の為めに通ぜず。電工科生と威張りてもツマリ駄目のものなり。
三月十九日
ウエスト教授の蒸気の試験なり。出来損ずるの道理もなし。
三月二十二日
電気測定の試験あり。問題は一題とは古今未曾有なり。皆な皆な閉口す。
三月二十三日
数学の試業を午後に施行せらる。六ケ敷問題に非ず、筆記の内にあることばかりなり。馬鹿でも読んでいけば出来る問題なるに古今未曾有の不出来とはナサケなし。興津氏ヤケを起して試業を中止す。
三月二十四日
力学の試業あり、可なりの出来。夜多田来訪して共に電信を調ぶ。
三月二十五日
化学の試験あり。サンプルは二種にして一つは副塩にしてアンモニアと鉄との硫酸化物なり。第二は混合物にして余はBi.Pb.Ni.Na及燐酸、硝酸、塩酸を得たり。夜多田を訪ふて電信を調ぶ。
三月二十六日
電信の試験あり。
四月二十六日
製図はウインチを始む。
五月四日
今日は渡辺助教授より一学期の成績不良なりとの注意を受く。元来大学の試験にて成績など云々するは馬鹿気た至りなり。試験にて同教授は学生の答案を見て此の所は違へり直すべしなど謂ひたるに非ずや、答案のヒントを与えたるに非ずや、余の如きは自ら答へたるなり。ヒントを与へたる前に書きたり。教師に答案を見て貰はず、豈一点の疚しき所あらむ。これ余の心に慰むるものなり。然れども成績不良なりしは事実なり。
五月八日
二三日前より始めたる実験「二個の白熱燈の等張力に対する燭火の比較」を継続して実験し略ぼ了結したり。
五月十日
余は益々面白からざる感となりぬ。余は最早遊ぶを欲せざるなり。少くとも自今余を慰むるものは勉強あるのみ。
五月十四日
午後登校せしに多田が工場にてイタヅラせしかば余も手伝ひてエレクトロ・マグネットを作る。
六月四日
渡辺助教授が近日の内に洋行するに就き、電気磁気の試業を繰り上げて今日施行す。愧かしや大学に来りて然も本職にて二学期とも注意を喰ひてあれば、今日こそはと奮発したり。ドーヤラ二回分の取り返しが附きたるらし。
六月十四日
試 験
水力機の試業あり、五問題なりき。先ず上出来ならむ。完全ならむ。
六月十五日
今日は器械学の試業なり、五問題なりき、成績不良なりき。
六月十六日
蒸気機関の試業あり、四問の内三題は出来たり。他の一題は過失より結果を少しく間違へたるは残念なりき。
六月十八日
午前スチームの試業あり。問題は五問なれども始めより終りまで連絡したるものにて、汽罐を設計するまでなり。余は充分に出来たりと思ふ。
六月十九日
電気測定の試験あり、四問の内二題は完全にして二題は不充分の点多かりき。
六月二十日
午前興津を訪ひ午後は興津、吉沢、遠藤、竹内諸氏と共に厩橋の東京電燈を見る。
六月二十三日
最後なる応用力学の試業あり。得意の科なれば先ず通常の上出来なり。
七月三日
試験の成績は如何になりけむ、京なる友は如何なる地に旅行することとなりけむなど、知りたきこと多ければ今日慈母、家兄、弟妹に別を告げて京に上る。
夜食して寄宿舎に至りしも誰も居らず空しく帰る。吉沢を問ふて成績の消息を問はむとせしも之も不在にて、又鵜飼氏を訪ふて種々の談話をなし井原を訪ひしに不在、空しく帰る。
七月五日
朝七時に古山を訪ふて共に登学して、成績や出づると待ちし甲斐なくして出でず、空しく井原、野口等と控所に談笑せしに、小室に会して共に丸山館に至りて洋食にて午食し、一時頃より共に山朔(注;山田朔太郎)を駿河台に訪ふ。三時頃まで旅行談を為す。
七月六日
午前中野先生を訪ふて実習証の証明を乞ひ、午後は登学して成績出でしやを見しに出でず。寄宿に至り、帰りて暮に糟谷と中野先生を訪ふて成績を問ひしに、会議未だ終らず判然とせずとて談り呉れず、(後略)