その3「勉学」編

3、第一高等中学校三年

九月廿日 木曜日 曇天

始業

 本日より愈々始業す。天高く金風は颯颯として弥生ヶ岡に秋色漸く深く、八百の健児は夢に北京城頭に白旗の00たるを眺むるの時、学窓の下に十年後の我が国の経倫の種を素養す。快哉。

学科時間割次の如し。

月 洋人  英語  数学  独語  物理

火 倫理  化学  独乙  数学  国文  鉱物

水 独乙  漢文  英語  物理  体操

木 化学  数学  洋人  鉱物  画学  々々  々々

金 数学  英語  漢学  独語

土 英語  物理  体操  独語

 洋人は英人メーソン氏の英作文、倫理は宇田教授、独乙は谷口教員の文法及びブッハイム第一巻の訳読、化学は無機にして織田教授、其参考書はリヒテルの化学書、数学は飯島教授のコニック・セクション、英語は高須教授のナインチーン・センチュリー、物理は山口教授、鉱物は松島教授、国文は小中村教授の増鏡、漢学は島田教員の高等漢文読本、画は小島教授の用器画なり。

十月二十一日

瓦 斯 会 社

 同窓吉沢氏の紹介にて東京瓦斯会社を見んと、早朝奥津外二三氏と芝区を差して出でて行く。九時頃着きて来意を通ずれば技手風の男出で来り、丁寧に余等を工場に導きたり。同行者が地獄の如しと評せし、瓦斯を石炭よりヂスチルする様は仲々盛なり。夫れより瓦斯の清潔法、瓦斯量のメートル及ホールダー等を説明す。燈基工場に案内して種々の燈を説明し、其所に在りたるガスインジーンの説明を乞ひしに、技手も能く知らずして余等一人も其理を解得せしものなし。之より楼上の応接所にて種々の舶来燈を説明せり。其中白熱燈などあり、何れも高価なるに驚きたり。十時半帰路につく。夜散歩す。

十一月二十三日

電話交換所

 須永盛太郎氏の紹介によりて電話交換所を一覧せんと、同氏及び興津幸雄氏と共に九時頃より至り、刺を通じて来意を述べしに技手は快く諾して一々説明す。蓋し得る所少からず。然れども此の事は別に詳に記する見込みなれば茲に記さず

十二月十七日

 愈々試験も明日となりたれば、今日の学校は臨時休業なり。前年の如き苦しみなきは専門に入りし故ならめ。

十二月十八日

学期試業

 第一に数学の試業あり、問題は主にデテルミナントなり。六ケ敷きにあらざりしも不出来なりしは残念此の上なし。我れ元来数学は最も得意とせし所、未だ人後に落ちし事もなかりしに、一二年前より如何なればかくも不出来の打ち続くにや、吾ながら怪まざるを得ざるなり。第二に英語の試業、之れも同じく寧ろ不出来なり。

十二月十九日

 物理の試業は充分に遣りてのけたるも、固より余の満足する所に非ず。脳漿の混乱吾れ之を如何せん。漢文も無事。

十二月二十日

 化学と独乙語、先ず一通りなり。

十二月二十一日

 午前国文の試業あり。

明治二十八年

一月九日

 本日より授業を始む。

一月十日

 数学の注意を食ふ。

二月十七日

 製図の後れしを以て惜しき日曜日の午前を費して製図す。

三月二十三日

 学期試業始まる

 学期試業は又来れり。

 数学の難場は此の第一日に当れり。元より毎度の失敗かへすがへすも口惜しくて、其のうらみは骨髄に徹せり。此に於ては心を之に注ぎて大に決戦を試みんとし、前日までに準備も全く終り、晴れの戦場に勇気の程を試みんとて行けば試問は出でたり。通覧するに別に差したる難きに非ずと、鉛筆を呵して時間前二十分に為し終りぬ。後にて聴けば一つの相違なし。此に於て余は心少しく解けたり。

 去りながら今後も亦奮発して必ず亦此の如きを期するのみ。

 英訳読は平性を貴しとす。而して余幸にして奮励せしかば一つも用意を要するなくして受験し、之又少しく上出来なり。

三月二十四日

 英雄は閑日月ありと。若し其コンバースをして真ならしめば余は英雄に非ず。一数学の為めに総ての時間を費し、其余に向て大に時間の不足を感じたり。化学の試業は明日なり。然かも其下調べは未だ手を附けざるなり。若し或る一方の人より云へば余は磊落なり、豪風なりなど称すべけれども、余は心中私かに憂ふる所なき能はず。此の日終日化学を復習す。

三月二十五日

 化学と国文との試験あり。好からず悪しからずの成績、平々凡々たること例によりて例の如し。

三月二十六日

 鉱物と漢文との試業あり。漢文は通例なるも鉱物は大々的の不出来なり。之れも勉強の不足と諦むる外なし。

三月二十七日

 独乙語の試業あり。六ケ敷きものに非ず無事なり。独乙文法の試業は二十八日の所都合により今日に繰上げたり。之れにて試業も荒方になりて終りし如き心地す。

三月二十八日

 午前は物理の調べをなせしがはか取らず、午後も同じ。漸々夜に至りて先を読めば六ケ敷なり。ノートは解らず時間は切迫し来る。思ふ如くならずして終りぬ。

三月二十九日

 試業の難物たるは皆人の知る所、而して其内の最難物を算すれば皆は指を数学と物理とに屈す。之れ皆な余の得意とする所、而かも数学は毎度失敗するも、物理に至りては未だ其轍を履みしことあらず。蓋し心中快とする所なり。然るに過般は大に怠懈せしかば少しく不出来なりき。数学の不足なければ理学欠く、嗚呼又何をか謂はむ。学校の成績は問ふ所に非ずとは余の与せざるの言なり。

四月十二日

 日暮 学期試業の成績出づ。余は十八番にして先学期より九番ばかり上りたるなり。思へば口惜しきことなり。先学期より好くして然かも十八番なり。我は良心に向ふて愧じなき能はず。

 

四月十六日

     新元素アルゴン

 近来珍しく面白き授業を受けたり。そは他事に非ず織田教授の講義なりしが、今日は最近発見にかかる新元素の発見に至りし手続き、方法及新元素の性質にして、耳新しく面白き事限りなし。

 去れど時間の限りあれば其講ずる所も大略なれば隔靴掻痒の感多く、且つは新元素として来りしものなれば不信の点多くして、余の脳裏には確固として元素なりとの思想を起すこと能はざりしも、学理界にて考究すべき好題なりとて、夫れに連続せる野心は確に脳中に浮遊したり。

 然れども専門の異なる所なれば不得止も、総ての学芸界にも実に此の有様多く、吾人が考究すべき事項は挙て数ふべからざる程あらむも、只之を見出し難きのみ。多望なるかな前途。

六月十六日

 夜図書館に至る。試験も早や明日となりて、何も彼も確かに脳中に入りたるなきは少しく困却するも、恐るるものなきは先づ安心と云ふべし。

六月十七日

 学年試業(注 独語を除き試験問題全文の記載あるも省略)

 開戦々々。早朝五時より起き出でて何もなさず英気を養ふて七時に教場に至る。十分の鈴声は轟きぬ。去れど教師は来らず。如何にせしやと待てども暮せども来らず。遂に八時になり、八時半に至りて高須先生は来れり。理髪所に至りて遅れしとは何事ぞ、重大なる学年試験に於て此の如きことあるは如何にぞや。十時よりは関ヶ原とも謂ふべき数学なり。

数学(出題英文 二時間)

皆々青き息のみ吐く。余も完全に出来たるは無くて、能々考ふれば実に一大事の如くなれども、何とも感ぜざる心地するは如何にや。

六月十八日

 早朝五時より起きて物理の公式を暗記す。家兄より来翰す。曰く、金子(注;水泳部の夏合宿参加費用を無心していた)は姉の方に遣はしたれば夫れより受けよとありぬ。

 七時より物理の試業あり、一通りの出来なり。

物理(二時間半)   独訳(二時間)

六月十九日

化学(二時間)    漢字(二時間)

六月二十日

地質及鉱物(二時間)   

 鉱物は一学期二学期共に不出来なれば、今日の試業には恢復せむとて前夜より必死となりて勉強せしも、今日は不出来不出来。

六月二十一日

 製図の試問とし謂へば、例年零点を取るもの多き由にて皆な此所大事と必死となる。去りながら是れは七八分は天性にて致し方なし。今日少くとも八十点は取らむと出でて行く。 

製図(出題英文 三時間半)   訳読(二時間)

六月二十二日

国文(一時間)         独乙(二時間)

 

七月六日

(注;三週間にわたり水泳部の合宿に参加、横須賀の大津水泳所に滞在中)

 今日は学年試験の成績を掲示するの日なり。皆人如何々々と思ひ暮らす。

・気早やの連中は電報を依頼置きたれば、昨夜より斥侯の報知に接して喜ぶものあり。

・又電報を依頼し置きしに今朝に至るも着せぬは、必定落第なるべしなど謂ふものあり。

・彼れ是れする内に電報ありて勇み喜ぶもあり。午前の水泳を終りても未だ報知は来らず。

・午後の水泳を終りても来らず。三時頃より写景に出でむとて、鞄を肩に懸けて出て行きしに高野氏に会したり。「御目出度う」と一言謂はれて胸すきたる心地す。「試験乎」と反問せしに然りと答ふ。

・会所に来報あり、見るべしとありければ、写景も何も止むることとして会所に至れば、同室者にては青井、松村、同じ北寮の六番室即ち余と同級同組にては、半数の落第(吉田、平田、一樋、山根)とは驚きたり。殊に我が二部(注;主として大学で工科、理科専修を希望するコース)二年は落第の多きこと全校第一とは又更に驚きぬ。

・二五会員にては恒松氏の落第はかへすがへすも気の毒なり。会所の連中皆な大喜びにて立ち騒ぎ居る。魚よりも鶏肉が好からむなど謂ふは今夜祝宴を開くらし。

・本部に至りて来報やあらむと見舞しに、葛西氏今来津せりとて居合わせたり。

・先づは余等の組の成績を報告す。余の組のみにて落第七人、未定四人を生じ、残るは二十二人のみなり。

・余は十四番なれば元より好成績にはあらぬも是非なし。これより葛西氏は余等の宿所に入る。

七月七日 

横須賀造船所

 

好天気なれば水泳には極めて好きも、今日は海軍機関学校の生徒の紹介にて、部員一同にて横須賀の造船所を見るに決し、八時頃より出でて行く。同所の門内にて暫く憩ひて待ちしに、機関学校の生徒来りて余等を案内す。

其宏大なること今更謂ふも愚かなり。其重大なる鉄槌に至りては実に人目を驚かすに足るものならむ。其他百般の工具雑然として配置せられ、槌音はガンガンガンガンとして耳を聾するばかりなり。

ドックには大和、葛城、天城、天龍の四艦及姫路丸などあり。

葛城の内部に入りて見しに修繕中とて不潔不整頓限りなし。且つ同艦は古きものなれば目新しき機械もなし。

明石の船骨は略々落成したるものの如し。残る隈なく見終りぬ。分捕りの隠見砲などありぬ。

又精工と宏壮とに一驚を喫したるは須磨の機関なりき。之は全く同造船所にて本邦人の手になりしものなりと云ふ。尤も直径五寸ばかりの鉄管ありしが之のみは仏国製なりと云ふ。之其孔を穿つ機械なきが為めなりとかや。見終りて機関学校生徒の宿所に案内せられて、一同にて茶、団子、ラムネなど饗せられ一時頃帰着す。(後略)