4、玉突き
浪平は明治31年5月頃に玉突をはじめた様ですが、この年の9月以降の入れ込みようは凄まじいものがあります。
明治三十一年
七月二十九日
午後山崎氏と上陸(注;千島海底電線布設工事実習の途次 根室に)にて玉を突く。
九月十六日及び九月十七日
鎌倉駅前の玉屋で玉を突く 村井弦斎氏と。
九月二十一日
乙部氏と玉を突く。
九月二十二日
佐藤氏と玉を突く 六十三対二ゲーム皆敗。
九月二十三日
乙部氏、佐藤二氏と池之端にて玉を突く。
以降、明治31年10月から32年4月までの間に、70日も玉突に通っています。此の間の実日数は212日ですから、三日に一度以上玉突をしていたことになります。
何故このように熱中したのでしょうか。単なる気分転換とは思えない、一つの謎です。
これも一度始めたらとことん徹底してやると言う浪平の性格なのかも知れません。大正末期頃より程ヶ谷カントリクラブのメンバーになりゴルフを始めましたが 毎日曜日に通い、挙げ句の果てに、昭和12年にお客様と社員の福利厚生施設を大義名分に 大甕(おおみか)ゴルフ場を開場してしまう熱の入れようです。