日立の迎賓館と言われている「白山閣」敷地内に「浪平の終焉地碑」があると云われているので出掛けてみた。町内の看板に「旧戸崎町」とあり。厳重な門扉にブロックされて中には入れない。たまたま社員とおぼしき人(日立のロゴ入封筒持参)が門扉を開けて 出てきたので「終焉地碑」はどこですかと尋ねてみたら「そんな終焉地碑は知らない」とつれない返事。「平成も遠くなりにけり」である。
現役の頃 高輪にある三菱グループの迎賓館である「開東閣」でご馳走に預かった事があるが、ここも基本的には一般には開放されていないようだ。でも ネットで調べて見ると、三菱グループの関係者かも知れないが、ここで結婚式を挙げたり、食事会やら、薔薇や藤見の満開時のブロクが多数載っている。
これに対してHPで見る限り「白山閣」は 浪平の外孫・岡田新一創業の設計事務所のPR「日立製作所小石川迎賓館“白山閣” HITACHI KOISHIKAWA GUEST HOUSE 1992」に 紹介あるのみ。旧細川家庭園の佇まいや建物・詳細設計仕様・写真は載っているものの、「浪平の終焉地碑」が載っていないのは残念。平成18年5月22日に当時の中西会長・東原社長が安倍首相をここに招待したと「首相の晩餐」に載っている。経団連会長内示のタイミングと合致している。浪平は質素・謙虚・道義を旨とし、特に政治まがいのお付き合いを一番嫌っていたと思うが・・・。
この「白山閣」は一部の上席役員のフリンジベネフィット施設の感あり。一等地に立地しているので 創業の事業を売却する前に ご近所の方々にも解放するとかOB食事会等をも取り込み 独立採算にすべき。
(下記「終焉の地碑」写真は高尾さんの「日立回想録」より)