社会人になってからの浪平
・1900年(明治33年;27歳)卒業し、藤田組小坂鉱山に電気主任技術者として入社し、発電所づくりに携わる。
・1904年(明治37年;31歳)広島水力電気株式会社に電気主任技術者として転職。
・1905年(明治38年;32歳)東京電燈株式会社(現・東京電力)技師を経て、
・1906年(明治39年;33歳)、久原鉱業所日立鉱山に工作課長として入社する。
工作課長時代の小平は、鉱山における土木建築工事、機械・電気設備の設計・設置の指揮を行うとともに、鉱山で使用する電力を確保するために、中里発電所(1907年)、石岡発電所(1909年)の水力発電所を設置した。そのため、蒸気機関が主な動力であった当時の日本にあって、日立鉱山は送風、用水、輸送から電灯、精錬に至るまで電化が進んでいた。
<今までの蒸気機関⇒地産地消の水力発電所建設⇒電力エネルギーへの転換⇒日本一の高効率の銅鉱山>
また、小平は高尾直三郎、馬場粂夫など東京帝大電気工学科卒の優秀なエンジニアを入社させたが、彼らが工場の豊富な電力を利用して設備を内製したことが、後の日立製作所の製品群の基礎となった。
・1910年(明治43年;37歳)、自ら設計・製図を行い、国産初の5馬力電動機を3台製作した。つづいて200馬力の電動機を製作すると、修理工場を発展させて電気機械製作事業を始める決心をする。
・1910年の初めに、小平は久原房之助に新工場の建設を嘆願する。これが認められ、同年11月には宮田芝内(日立市白銀町)にて、敷地面積4181m2の工場を建設した。これが日立製作所の創業とされる。また、従業員教育を目的として、同年には従業員教育(現・日立工業専修学校)を設立した。
<創業時に学校設立⇒徒弟教育⇒現場力の「技術者王国」>
・1911年(明治44年;38歳)、小平は久原鉱業の機械工場として日立製作所を設立した(役職は主事)。
・1920年(大正9年;47歳)、久原鉱業から日立製作所が独立し、資本金1000万円・従業員2700人の株式会社となる。専務取締役。
・1929年(昭和4年;56歳)、同社の初代取締役社長に就任。
」
日立創業の1910年は、1874年・明治7年生まれの小平は36歳。
その前の事業も勘案するならば、amazonの創業者ジェフ・べゾス<ジェフ・ベゾス - Wikipedia>の創業時と殆ど同じ若さで、
国産初の5馬力電動機3台を設計製作した事になる。これも当時としては画期的発明Invention 。
そして、「Invention is the root of our success. We’ve done crazy things together, and then made them normal.」。
そして日立30万人の雇用を生み出す事業体に成長したのでしょう。
ここで、小平浪平は創業資金を銀行から借り入れたわけでもなく、田畑を売ったわけでもなく、久原鉱業オーナーの久原房之助社長に嘆願して工場を建設し、日立製作所独立の資金(資本)を得た訳です。
つまり、小平浪平という将来性あるjuniorの青雲の志に、久原房之助という事業家・資本家のseniorityが希望の未来を見出した事によって、
のちに大きく「We’ve done crazy things together, and then made them normal.」
数々の事業を生み出すための創造的なキャッシュフローが生じたことになります。同時に設立した徒弟養成所も多くの若者技術者たちを育成して「技術者王国」に導いたのでしょう。
以上が「晃南日記」後(即ち 社会人になってからの小平浪平)の本来的な意味での「seniority」と「juniority」の関係性を想起出来るはずです。
東アジア文化圏では「老」は知恵の塊、恩師・先生は老師。
<青春、朱夏、白秋、玄冬>
「juniority」は青春、自然も人間も もの皆芽吹くもっとも創造的な時節です。このような循環的時空哲学の中で生命エネルギーや知恵、そして「資金の好循環」が成立していた時代が日本にも確かにあったということでしょう。
名器は奏者を得て音を奏でる。幕末・明治期を取っただけでも、立志伝中の人物の履歴などには、これに類する様々な関係性が広く偏在していたことが感じ取れます。彼らにとって日本は”どこにも負けない輝ける自由に満ち溢れた国”だったのかも知れません。
野口悠紀雄氏<野口悠紀雄 - Wikipedia>のいう「seniority年功序列システム」は、「単なる老化衰退集団の既得権の順送りシステム」(注;現在の政官財報の仕組み)に過ぎず、護送船団「日本丸」という特殊戦後日本的な権力集団の組織原理の変異種に過ぎません。
そして、彼らが作り出すキャッシュフローこそが、GDPのみならず日本全体を底知れぬ泥沼(埋没する日本)に引きずり込もうとしているprime mover原動機と言えるでしょう。
”日本の常識は世界の非常識”は 正しくは
”護送船団「日本丸」の常識は世界の非常識”と言い換えられなければなりません。
蛇足ながら付記すれば、日立はABB送配電部門買収総額1兆円以上のキャッシュフローを捻出するために主要子会社や本社工場、家電等を売却して資金作りをしています。
<https://social-innovation.hitachi/ja-jp/topics/abb_powergrid/>
これは
・トヨタのような輸出から需要国投資への切り替え型でもなく、
・ダイキンのような新たな需要地をインサイダーとして求めるM&A型でもなく、
・国内を売却しなかった東芝・WH型とも言えません。
しかし、賽は既に投げられています。
これが成功するかどうかの未来予測はしばらく措くとしても、「国内投資立社」から「海外投資立社」へ」の財務官僚作文的なスローガンではない事を祈るばかりです。
https://toyokeizai.net/articles/-/403981
出典;
② 「小平さんの想い出」