<2050年から見た日立の姿!>
20年前の2030年に㈱日立製作所と言う社名は消えた。
<経緯>
優良上場関連会社(建機)(金属)(化成)は2022年全て売却完了。2023年の業績は利益率は二桁と最高益に達し DX転換の企業として経済界の賞賛を得た。
しかしながら国内ライフ(白物家電)事業は国内販売戦略の失敗で、更なる価格競争に巻き込まれ赤字転落。既に海外白物を売却済みのトルコの会社に2024年売却。
ホンダとの合弁の(株)日立アステモも予想以上のEV自動車の加速、自動車本体売価ダウンと消費者の自動車利用形態の変化等により2025年に赤字転落、将来とも高収益が見込めないため中国の会社に2026年売却。
2020年に無謀と言われた1兆円強で米国ソフト会社を買収したが、Lumadaとの相乗効果が出ずミスマッチ。単なるパソナと一緒、国際人材派遣事業と判明。
DX事業の2026年度の業績は株主と約束した売上低迷、利益が守れず、CEOは欧州出身の社長に取って代わった。
それでも売上・利益共回復せず、「日立の悲劇」と騒がれた。結局 2030年になって中国の大手ソフト会社が㈱日立製作所を買収した。
最大の真因は創業の精神の一つである開拓者精神の喪失。つまり20〜50年先の研究開発を怠ったツケが露呈したことにある。基幹ハード技術の裏付けの無いソフト会社はLumadaではパートナーと協創が出来なくなった。
日立は昭和45年に駒井社長時代に創業60周年を迎える。この前後にのち5代目社長になったあのIBM事件で名を馳せた(三田)が(お)から大型汎用コンピュータの事業所(神)に栄転している。
彼は昭和24年6月日立入社。何故2ヶ月遅れの入社になったかと言うと 第一志望の通産省技官入省の通知が4月だったからだ。既に日立の採用試験は終わっていたためやむを得ず一旦 日製産業に入社し、6/1付に日立(多)に配属され 配電盤の設計。
昭和45年コンピューター技術はIBMの独走だった。IBMの互換機さえ作れれば利益率が二桁は固い。そこで思いついたのがIBM技術の盗み取り。三田が社長時 優秀な部下を米国に送り込みスパイさせたが、事件が発覚すると部下をトカゲの尻尾切りして、米国と国交の無い台湾に自分はさっさと逃亡。如何にも官僚主義願望体質・上級国民の持ち主。
事件は多額の賠償金を支払って和解したが、それからが 三田は日立経営の御法度である公私混同、忖度経営、官僚経営(善悪より損得優先経営)を蔓延。昭和60年以降、絶対王者として君臨。
この新自由主義経営が社内の(お)マフィア軍団(お友達経営)を形成し、のち経団連会長になった安倍の提灯もち 田舎政商と揶揄された中西が完成させた。裏で実質操っていたのが昭和35年入社で(庄山)と社長レースに敗れた(桑原)。三田も桑原も(日)に対する怨念充満。
(三田)が(神)の工場長になったのは1970年(昭和45年)。それから2030年で60年。(お)マフィア軍団の「金で経営を買った」日立は「金」で中国の国家戦略で喰われてしまった。この間「三菱電機に統合」という通産省の行政指導もあったが・・・・。
「㈱日立製作所」は120年の社歴で終了。それでも「日立」と言う名の付く会社は無くなったけれど「HITACHI」と言うブランドは20年後の2050年の今でも散見される。
以上