<神永兄からの総括>
「宿命」「運命」というコトバで思い出しましたが、昭和恐慌の頃、小平さんが全国鉄道電化事業を唱え、また、「小日本主義」の石橋湛山の思想に共鳴していったと言われていたと思います。
現在の
・日本政府の金融財政政策を牛耳る財務省スローガンは相変わらず「輸出(加工貿易)立国」から「海外投資立国」へ。
・経産省は重化学工業中心財界利益誘導による裁量権確保・官僚利権強化、その他省庁右へ倣へであり、あいも変わらず高度成長期の残像追っかけガラパゴス路線爆進中。
・よってこの30年間、護送船団「日本丸」はただ今鋭意沈没中というのが診断。処方箋は「海外投資立国」から「国内投資立国」へというのが大まかな見立てでした。
・もちろん、経済ジャーナリスト湛山の「小日本主義」(=経済的にペイしない植民地経営から国内経営重視へ)は「国内投資立国」シフトに対応し、小平さんの全国鉄道電化事業案はその各論、電化による内需拡大、雇用確保による恐慌脱出の良策。両者合わせて国民経済盤石化、即ち経世済民の王道であり、語の正しい意味でのケインズ政策でもあったでしょう。
<しかし、世の中の「運命」ママならないのがの世の常、いや人の性か>
・戦前日本政府が辿ったのも結局昭和の汗臭「海外投資立国」男性マッチョ路線。アジア・太平洋戦争15年戦争の大博打に打って出た果てに大日本帝国丸轟沈の悲劇でした。
・連れて親会社久原鉱業は海外投資路線を展開して失敗、家督を義弟?鮎川儀助に譲って日産コンツェルン入り。長州の三スケこと、岸信介、松岡洋右、鮎川儀助のトリオ植民地経営拡大路線に従っわざるを得なかったものかと推測しております。この頃の小平さんのご心境について研究家・足立さんに何かご意見などありましたらばお聞かせいただければ有り難いかなと思った次第です。
・総じて、戦前日本の辿った近代史は、漁夫の利・第一次「大戦景気」、「大正バブル」を分水嶺としてバブル崩壊、昭和恐慌、15年戦争、一億玉砕・本土決戦、原爆投下、万事休すと、坂道転げ落ち落ち果ての国家滅亡という大惨劇でした。
・押してもダメなら引いてみな、一億総懺悔・平和と民主主義、やり直し戦後日本近代史も「80年代後半バブル」を分水嶺として転げ落ち、現在では政治経済社会人品骨柄あらゆる指標が先進国に非ざる停滞状況を示しています。片やグローバル資本主義自体の咎の大ダッチロール、世界的スタグフレーションの足音が聞こえる中で、孫子の代はどうなるものやらと、思案に明け暮れる今日この頃です。