広井洋一郎 2023年12月22日 4:00 [会員限定記事]
日立製作所の株式時価総額が初の10兆円をうかがっている。かつて20社以上あった上場子会社は構造改革でゼロに減り、グループは一変した。さらなる成長をめざし、デジタルや環境事業を育成しており、送配電と鉄道の事業では8兆円を超える巨額の受注残が積み上がった。
英国本土から北東に130キロメートル。北海に建設中の世界最大級の洋上風力発電所で、第1弾の発電設備の試運転が今秋始まった。長距離で電気を効率よく送る「高圧直流送電(HVDC)」という日立の技術が使われている。同社は同発電所の第二、第三のプロジェクトにも参画する。建設は2026年まで続き、業績貢献が期待される。
「エネルギーセクターは非常に多くの投資が入る『スーパーサイクル』に入った」。河村芳彦副社長はそう強調する。20年にスイス重電大手ABBから買収した送配電事業は、再生可能エネルギー市場の拡大が追い風となっている。長距離を効率よく送電する技術を強みに事業全体の受注残は23年9月末に3兆9000億円と、半年で1.4倍に膨らんだ。事業全体の24年3月期売上高見通しの実に2.3倍に達する規模だ。
ゴールドマン・サックス証券の原田亮氏は「日立はIT(情報技術)とインフラ設備を組み合わせて売り込める世界的に見てもユニークな存在。コングロマリット(複合企業)が強みとなる珍しい事例だ」と指摘する。例えば、送配電事業はデジタル技術による管理や制御技術が強みで、ドイツの重電大手シーメンスから分離してハードに軸足を置いた独シーメンス・エナジーに比べて受注競争で優位に立つとみる。
一般的に企業が複数の事業を抱えると株価が実力より過小評価される「コングロマリット・
ディスカウント」に陥りやすいとされるが、日立の場合は事情が異なる。
SMBC日興証券の吉積和孝氏によると、企業価値(EV)がEBITDA(利払い・税引き・償却前利益)の何年分に当たるかを示す「EV/EBITDA倍率」をもとに算出した理論時価総額は10兆1385億円。21日終値ベースの時価総額(9兆3319億円)と比べると、コングロマリット・ディスカウント率は8%で、1日につけた上場来高値時点では4%とさらに縮まる。
「日立の場合、同ディスカウントはほぼないものとみてよい」(外資証券)との声もある。
企業価値の過小評価を避けられるのは、IT革命の波に乗り遅れた総合電機から、デジタルを軸とした社会インフラ企業に生まれ変わりつつあるからだ。けん引するのは顧客のデジタル改革を支援する「ルマーダ」事業。人工知能(AI)をはじめ社内で培ったデジタル技術を幅広い事業に生かし、相乗効果を上げるビジネスモデルだ。
日立は09年3月期に当時の製造業で最大となる7873億円の最終赤字を計上し、デジタルを
軸とした構造改革に乗り出した。日立金属(現プロテリアル)や日立化成(現レゾナック・
ホールディングス)など装置産業型の企業を切り離した一方、米ITのグローバルロジックな
どソフトに強い会社を買収した。
総資産に占める有形固定資産は09年3月期の25%から23年3月期に14%と縮小した一方、無形固定資産(のれん代を含む)は5%から27%に拡大している。09年3月期に22社あった上場子会社はゼロになった。日立グループは変貌した。
一方、競争力を維持するためにはハードとソフトの両面で投資を続ける必要がある。1兆円規模の大型M&A(合併・買収)は一巡したが、生成AIや仮想空間「メタバース」の産業利用など最新鋭の技術の獲得に向けたM&Aは積極的に手掛けていく構えだ。
小島啓二社長が最高経営責任者(CEO)を兼務する体制になった22年4月以降、完全子会社化を含めたM&Aの件数は10件を超えている。
24年3月期は自動車部品を手掛ける日立Astemoの株式売却による現金収入1580億円などがあるが、今後は非中核事業の売却で資金を得る余地が小さくなる。成長投資の原資をどこで確保するかが課題になってきている。
日立は本業で稼ぐ現金を示す営業キャッシュフロー(現金収支)で24年3月期に7200億円を見込むのに対し、インフラで競合するシーメンスが122億ユーロ(約1兆9000億円、23年9月期の継続事業)、IT分野のアクセンチュアが95億ドル(約1兆4000億円、23年8月期)を稼ぐ。世界の競合企業に比べると日立の稼ぐ力は見劣りする。
成長投資の原資を確保するためのカギを握るのが、「8兆円」という数字にみる稼ぐ力だ。デジタル技術を使った鉄道制御システムの大型案件獲得が相次ぎ、鉄道でも23年9月末に年間売上高の5.7年分にあたる4兆6000億円の受注が積み上がる。送配電と鉄道の両事業を合わせた受注残は23年9月末に8兆5000億円と、前期末に比べて23%増えた。24年3月期に見込む全社売上高にほぼ匹敵する規模だ。
小島社長は「顧客に納入した製品がインストールベース(導入基盤)となる」と強調する。インフラに搭載された自社製品を足がかりに、運用や保守、デジタルトランスフォーメーション(DX)のコンサルなどITサービスを売り込めると見込む。送配電と鉄道で8兆5000億円にのぼる受注残を早期に売り上げに転換できれば、ルマーダ事業の成長に相乗効果を上げると算段する。構造改革の果実の収穫期に入ってきた。
「みんなが集まって、みんなが持ち寄って、新しいものをつくろうと思っています」。日立おなじみのCMソング「日立の樹」は、1973年に放映が始まった初代CMの最後でこう宣言している。かつてバブル崩壊後の失われた30年を代表する銘柄ともされた日立は変貌を遂げ、株価はバブル崩壊前を超えて高値更新をうかがう。8兆円の受注残はさらなる成長の芽だ。日立は「見たこともない花」を咲かせようとしている。
以上
足立さん