左記戸籍謄本で見る限り浪平の誕生日は明治7年4月16日である。この戸籍謄本は昭和13年役場から取り寄せたもので、1ページの全体は 下記pdfの通りである。
一方会社の社史や碑文には全て明治7年1月15日となっている。この1月15日は兄儀平が家督相続した日である。
浪平は自分の誕生日には無関心だったのどうか判らないが、6年間の「晃南日記」の1月15日も4月16日にも自分の誕生日の記載は一切ない。「身辺雑記」にもない。戸籍上の4月16日が正しいのであろう。