写真は昭和3年兄儀平の鮎狩り社員懇親会。(思川の大光寺あたり)
浪平の「鮎捕らずの記」はこの25年前。一匹もとれず失敗し おまけに、帰りは栃木特有・名物の夕立に見舞われ、挙げ句の果て道に迷い散々だった様子が窺える。
九月一日 金曜日
漁具を新調せり。大光寺なる思川に鮎狩の壮遊を試みん程に、今夜大雨に非ざりせば、共に来らんと根岸氏(注;栃木の小学校の同級生)に勧められし故、昨夜雨は降りしも左したる事はあらずと根岸氏宅に至り、種々の用意も忙しく弁当など用意して、品々の漁具各々之を分担して大光寺に向ふ。
城内村、今泉村、大宮など通る程に、途すがら帰りに漁獲する所多くなりぬれば、又此の上に担うものも重くならんとかこつものあれば、否とよ、大に得る時は此の弁当も皆吾人の腹中に埋葬せざるを得ずなど、所謂空中の楼閣のみ画くも可笑し。
彼方の森はや大光寺の渡し場に近づきぬと勇みて近づきて、かすかなれども物に激する水音の聴ゆるは、正しく水増して綱をも何をも投ず可くもあらざらんと、皆な落胆して進めば是なん水車の音、馬鹿な事よとつぶやきて河のほとりに至れば、多くあらねど水量正しく増してあり。
是より衣類脱ぎて軽舟に棹して上流に遡らんと試みしも、思ふがまにまに船は進まねば余も立ちて之を助け、上流に至りて鵜縄を曳くも流急にして自由ならず。足も蹌々として縄を引き、程よからん頃えたりと投網を投ずれば無一物、一同呵々と打ち笑ふ。再三再四、漸くにして鮎にはあらでカンガラと謂ふ、二三寸もあらんと思ふもの一尾を捕へたり。これぞ口開けなる愛でたき事よと打喜び、舟を曳き或いは鵜綱を曳きつ網投じつ進めど一鱗片をも得ず。
殆どあきれて円山と謂へる小山の下の淵の岸辺に船よせて、割籠(ワリゴ)を開きて四方の山々をながむれば、遠山は嵐なるならん、霞の如き霧の如き雲に包まれたり。近き山々只だ緑のこきのみぞ見ゆる。河岸に沿ふ森林も亦鬱蒼として河原の白砂と相映ずる所、筏の舷に乗りて歌ひつつ下るあり、白帆を南風に孕ませ、舳先の綱を曳きつつ上るあり、又一層の観とや謂はん。
はや獲物は諦めて船に打ち乗り矢の如き急を下る。一里の程只だ瞬くひまに下りて固の漁場に来り、船を繋ぎて泳がんと暫し遊泳を試み、程なく立ち出でし頃は早や夕立の雲天を渡りて、雨降り始め雷さえ遠近に響き渡りぬ。
雨は愈々強く降れども早や是れ迄なりと、雨をおかして進みて大宮に至りて道を踏み迷へり。元の道に返さんと思へども夫も心ならず、此の道行けば彼道に会せんと思ひしに、行けども行けども会す可くもあらず。とある農家に入りて道を問ひ進めば十文字の道に至りぬ。
何れを採らば好きや分らねば、根岸氏とジャンケンに道を定めんと、我れ勝ちて左の道を取りて進めば農家あり。此処何処なるや、栃木は何方の道を行けば好きと問へば、ここは古宿なり、此道を少しく行きて大道に出で、其道を行きねと答ふ。
折しも雨は愈々強く、日暮れて夜陰人を襲うの感あり。雷光近く閃けば激雷天に轟き風伯又怒る。道をあやまりて川に落つるもの二回、衣巾全く濡れ雨水滴々として落つ。家に帰りて沐浴終り晩餐を饗せられ十時帰家。